今、私たちの社会で客観性という言葉が非常な重みを持っています。客観性がないということは、正しくないとか受け入れられないということを示しています。これはこれまでの科学が、物質を対象に、主観を排除し、徹底的に客観性を探求してきた結果であります。
それでは、その結果すべてが解明されたでしょうか。否、かえって大きな謎が出現してきたのです。すべての物質を構成している一番小さい要素として多くの素粒子が確認されたのですが、この素粒子は単なる物質とはいえず、現在の科学では解明できないエネルギ
ー状態を示しているというのです。
一方で、私たち人間の意識や精神、更に気とか、もっと大きく捉えれば生命の存在そのものについて、客観性を追求する物質科学では解明することができていないのです。そこで、意識、精神あるいは気のような生命活動に関わるエネルギーは、素粒子のエネルギー活動から派生してきているのではないかとして、そのエネルギーを表現するのに波動という言葉が使われてきています。
いずれにせよ、現在の物質の科学では把握できないのですから、これの解明には物質の科学を超越した生命の科学のようなものが必要になってくるように思います。そして、物質科学の絶対的な基準である客観性の中で埋没してしまった主観性を回復させることが重要でしょう。与えられた環境の中で受身で生かされている生命よりも、積極的にチャレンジし溌剌と生きる生命の方が自分にとっても社会にとっても良い筈です。各人の主観を尊重するということは何も各人が勝手なことをするということではなく、その前提としてお互いの生命を尊重することがあり、そこに自己規制や倫理観を共有することが大切でしょう。まさにサトルエネルギー学会が目指している方向であります。
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