1.これまでの討議の経過
(1)会員発表
1月 「グローバル化・情報化時代における教育のあり方」 古川 彰久
2月 「教育の本質とは ― 真の人間教育について」 矢澤 昌敏
3月 「教育問題について」 時藤 稔明
4月 「勝者なき競争社会」 今井 裕幸
5月 「カウンセリングと教育」 田中 達也
6月 「グローバル化と教育」 平井 兵治
9月 「教育問題への情勢判断学と脳力開発の応用」 榊原 高明
(2)会員発表の整理・まとめ
7月 「教育問題について、今年前半の例会のまとめ」 時藤 稔明
10月 「教育問題について」 榊原 高明
2.これまでの論議を踏まえ、情判会として教育問題をどのように総括し、今後どのように取り組むのか問題点を整理する。
(1)現在の実態の把握
①日本の社会が抱えている問題:マイナス面とプラス面、目立つ部分と目立たない部分、主流と反(非)主流、部分的と全体的、
対応策:それぞれの現象を病根として対処療法的に処置するのではなく、そのような現象が生じている根幹を見極め、対応を検討する必要がある。
②生活環境の変化:グローバル化、情報化、核家族化
対応策:変化の内容、程度と方向の見極めが大切、変化への柔軟性あるいは硬直性が問われる。世代間ギャップの発生。
③要因と対応:内因と外因(条件)、主体的と受動的、対処療法と根本対策
対応策:問題に取り組む精神的姿勢が問われる。
④教育の場と種類:胎児教育、幼児教育、家庭教育、義務教育、高校、塾、予備校、大学、大学院、社会人教育、企業教育、
対応策:教育の目的と絡むが、人づくりという観点からはあらゆる場が教育の場となりうる。
⑤立場:教師と生徒、親と子、家族、学校と社会、公立と私立、文部省と日教組、社会人と学生、企業と社員、各世代別、(各人各様)
対応策:教育はすべての人が、受ける立場あるいは与える立場でいろいろな局面で関わっており、それぞれの立場から、期待や希望が存在していることとなる。従いそれぞれの立場を主張している限り、大きな力とはなりえない。
(2)教育の目的:戦略論からは改革をするには目的が共有できるかどうかが課題である。
①わが国の公的機関における教育問題への大きな方向付けは以下のようであります。
わが国で問題とされている教育のあり方について、「学力低下問題」と「子供たちのモラル低下問題」が主要な問題点として指摘されており、これらの対策として、「ゆとり教育の見直し」や「道徳教育の復活」が課題となっている。
一部識者からは教育改革の目的が明確にされていないとの指摘もある。
②私たちはこれまで脳力開発的視点から教育問題につき意見交換を行い理解を深めてきた。教育問題の実態把握や教育の目的等を検討してみると、今後の教育のあり方は、今後のわが国のあり方と密接に連携する課題であり、お役所任せにせずに、私たち一人一人がどのような生き方がよいのか真剣に考える必要があると考えます。
3.教育の目的についての古川見解
(1)現在進展している、情報化、グローバル化の時代に逞しくチャレンヂしていくには、知識を教えるよりも、判断力あるいは精神力を育むことが大切です。
(2)教育の目的:「生きていること」(主体)と「生かされていること」(社会や環境)を自覚し、自らの「いのち」を精一杯実現(チャレンジ)する。そのためには身体や心が健全であることが大切であり、その根底にある意識は「いのち」に対する「愛」と「感謝」である。
4.教育の目的についての討議
(1)古川見解は抽象的過ぎるとして、意見の一致を見ることができなかった。
(2)教育の問題が非常に幅が広いことから、それぞれの立場が異なり、情報収集にも限界があり、これ以上議論を深めることは困難である。
(3)これまでの論議でお互いに教育問題に対する理解が深まったので、とりあえず、教育問題としては終了とする。
①教育とは何か
教えること:何を(知識)、どのように(一方的)
育むこと:何を(いのち)、どのように(双方向)、身体と心
例)玄米給食採用による学園改善
②心、精神の問題
昔はよかった説:日本では戦前は道徳が行き届き、今のような精神的退廃は考えられなかった。アメリカの占領政策で日本人は精神性を失ってしまった。よき昔を復活すべきである。
客観性絶対視説:精神性については、戦前は考え方の柱であったものが、戦後は都合が悪いとし、簡単に放棄し、客観性を絶対視し、合理性第一で他国からエコノミックアニマルと揶揄されてきた。その間、精神性について良い面悪い面を総括せずに、最近になって、精神性が大切だというと簡単に道徳心や愛国心に戻るところに精神というものにまともに向かい合っているのかどうか危うさを感じる。かっての精神性は、絶対的なものとして全体主義に導かれたところに大きな問題がある。まずは、精神性について検討する前提として、客観性の中に埋没している主観性を回復し、どのような主観性が望ましいのか議論する場を作ることが必要と考える。 |